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【小説】葉室麟「無双の花」:江戸時代

無双の花 (文春文庫)

無双の花 (文春文庫)

  • 作者:葉室 麟
  • 発売日: 2014/07/10
  • メディア: 文庫

 誾千代に家督を譲った際、道雪は、
「宗麟様は、立花が不忠者の姓だと思われておる。それゆえ、立花を名のるからには、決して裏切ってはならぬ」
 と言い聞かせた。このことを誾千代は胸に刻んでいた。そこで婚礼のおりに、宗茂に向って、
「立花の義とは、裏切らぬということでございます」
 と口にしたのだ。誾千代の言葉をぼんやりと聞いていた宗茂は、しだいに表情を引き締めた。誾千代の言葉に厳かなものを感じて、
「わかった。立花を名のる以上、わしは決して裏切らぬ」
 と言い切った。

データ

主人公:立花宗茂
主な歴史人物:誾千代、小野和泉(小野鎮幸)、由布雪下(由布惟信)、十時摂津(十時連貞)、真田信繁真田幸村)、長宗我部盛親徳川家康徳川秀忠伊達政宗
時代背景:安土桃山時代(戦国時代) - 江戸時代
 慶長5年(1600年)10月 - 寛永19年11月25日(1643年1月15日)

紹介

 関ヶ原の戦いに敗れた立花宗茂は、領地である筑後柳川(現・福岡県柳川市)へと帰還した。その軍勢は敗残兵ではない。大津攻めに加わっていた立花勢は関ヶ原での本戦に加わることなく、大坂城に在陣した毛利輝元の降伏によって結果的に敗者となったものだった。事の次第を宮永村(現・柳川市上宮永町)に別居する妻・誾千代に伝えると、宗茂の養父・戸次道雪(立花道雪)の娘でもある彼女は、関ヶ原の合戦は東西いずれも欲得にまみれ戦ったなかで、たとえ敗軍の将となったとしても宗茂だけは立花の義を立てたと称賛した。
 柳川に帰ると、東軍の黒田如水加藤清正の軍のみならず、西軍に付いていたはずの鍋島直茂の軍までが立花領を目指して押し寄せてくるという。立花勢は奮闘するが、衆寡敵せずだんだんと追い詰められていく。誾千代からも小事にこだわらぬようとの書状が届き、ついに宗茂に好意を寄せる加藤清正の仲介によって立花宗茂は降伏した。
 しかし、立花家を待っていた運命は改易であった。柳川は田中吉政に与えられ、立花家中は加藤清正の預かりとなった。しかし加藤家中でも立花家臣たちは折り合いをつけることが出来ずに清正のもとを辞すと、以後長く、宗茂主従は苦難の日々を送ることになる。

 若いころ豊臣秀吉に剛勇鎮西一、西国無双と称えられた立花宗茂だが、本作の大部分は彼が関ヶ原の戦いで西軍につき、長く浪人した期間から柳川13万石の大名として復帰するまでに充てられている。一説では不仲であったとされる妻の誾千代の存在が本編を貫く軸となっており、もう一人の妻である八千子との心温まる夫婦関係とは違う、共に育ち、長年立花家を二人で支えてきた戦友としての夫婦関係が描かれている。誾千代自身は立花氏の大名復帰を見ることなく若くして亡くなってしまうが、その死後も誾千代の存在は宗茂の中で大きな存在であり続け、立花の義を貫く支えとなった。
 訪ねてくる長宗我部盛親真田信繁の誘いを蹴り、困窮にあえぎながらも我を通して逼塞する宗茂の姿は、不思議と気高く感じられる。その気高さが東国無双たる本多忠勝の胸を打ち、徳川家康の許しを得ることにもつながった。
 正直にまっすぐ生きる立花の義は、戦乱と泰平の境目のこの時代にこそ報われる信義だったのかもしれない。奥州の梟雄・伊達政宗や日の本一のつわもの・真田信繁は生まれる時代が遅すぎたと評されたが、彼らと同年の生まれで愚直に義を貫いた立花宗茂は、武士道が萌芽を出し始めた新しい時代に合致した武将だったのだろう。

時代設定

関ヶ原の敗戦から柳川に帰国した立花宗茂に対し、鍋島直茂が挙兵したのが慶長5年10月14日。物語冒頭の誾千代と宗茂の対面はその数日前。
回想シーンで誾千代が立花道雪から城督を受け継いだのが天正3年5月28日(1575年7月6日)。
宗茂柳川藩に再封されたのが元和6年(1620年)11月。
宗茂の死去が寛永19年11月25日(1643年1月15日)。

書誌情報

著者:葉室麟
タイトル:無双の花
出版社:文藝春秋
出版年:2012.1
備考:

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