あの作品が何時代の話かわかるブログ

歴史系の創作物を集めて、年代順に紹介するブログ。歴史系の小説、漫画、ゲーム、映画などなどなんでも

【小説】高橋直樹「源義朝伝 源氏の流儀」:平安時代

源義朝伝 源氏の流儀 (文春文庫)

源義朝伝 源氏の流儀 (文春文庫)

「おまえはもう源氏の跡取りではない」
 そう聞こえてきたとき、為義は義朝の馬をよけて脇に退いていた。為義の捨てぜりふが、義朝の背中にあびせられた。
「髭切をこの場で返せ」
 義朝はすばやく振り返るや、肌身離さず身に付けていた髭切を為義へ放った。関東から乗り具してきた愛馬が、義朝の心を察したように、為義へ向かって鋭くいなないた。

データ

ジャンル:歴史小説
主人公:源義朝
主な歴史人物:平清盛源為義源義平源頼朝信西藤原信頼
時代背景:平安時代
 大治4年3月16日(1129年4月6日) - 平治2年1月3日(1160年2月11日)

紹介

 源氏の御曹司・源義朝は、源氏の棟梁累代の刀である髭切を持たされ父である源為義の命によって関東へ下った。野蛮な関東武士たちを従え暴れまわる様は、かつて石清水八幡宮(現・京都府八幡市)で見た平家の御曹司・平清盛とは大きく差を付けられてしまっていた。
 数年後、千載一遇の好機が訪れた。院政の主・鳥羽上皇が山門(比叡山延暦寺)の強訴に対抗できる武士として、関東で武勇の誉れの高かった義朝を京都へ召還したのである。しかし、二君には仕えない源氏の流儀からすれば、鳥羽上皇へ仕えることは源氏の棟梁である父・源為義への挑戦と同義であった。義朝は廃嫡され、髭切も為義の手に取り返された。それ以来、源義朝の率いる関東武士団と、源氏の棟梁・源為義は激しく争うこととなる。
 義朝を取り立ててくれた鳥羽法皇崩御すると、鳥羽法皇に疎まれてきた崇徳上皇を担ぎ上げ、左大臣藤原頼長が政治の実権を手に入れようと動き出した。頼長に接近している源為義もまた、崇徳上皇に付いた。保元の乱である。これで父を討つことが出来る。義朝はほくそ笑んだ。

 源頼朝義経の父として知られる源義朝の一代記。源頼朝が兄弟縁者を皆殺しにしたことは広く知られ、頼朝の冷酷非情さを語るエピソードとしていつも取り上げられるが、そもそも頼朝以前からずっと、源氏は血で血を洗う殺し合いを繰り返してきた。その中でも父・為義を討ち、兄弟縁者を皆殺しにして孤独に君臨した源義朝の生涯が、家族を愛し一族の結束を謳う平清盛との比較の中で描かれる。
 ただ一人の棟梁だけがいて、他者の存在を認めない源氏の流儀は関東武士を強烈に統合する紐帯だが、その恩恵は棟梁と郎等だけが享受するものであって、必ずしも源氏そのものの隆盛をもたらしはしなかったことが皮肉である。平家に捕らえられた本作の頼朝は生きるために源氏の誇りと髭切を手放すが、その後の鎌倉幕府の勃興と、源氏将軍3代での滅亡はまぎれもなく源氏の流儀がもたらした明暗だった。
 颯爽としながらも孤独な義朝、多くの一族を従え陽気に振る舞う大平家のゴッドファーザー平清盛慇懃無礼な学者肌の信西入道、醜く肥え太り賢愚定かでない不気味な存在感をもった藤原信頼などの描写が、大河ドラマ平清盛』の人物像とも近いイメージがあり、ライバルの源義朝の目線から描かれた本作を併せて読むと同ドラマをより深く楽しめる。

時代設定

冒頭の石清水八幡で平清盛が舞う場面は大治4年3月16日(1129年4月6日)。
源義平が帯刀先生源義賢を討ったのは久寿2年8月16日(1155年9月14日)。
源義朝鎌田正清が討たれたのが平治2年1月3日(1160年2月11日)。

書誌情報

著者:高橋直樹
タイトル:源義朝伝 源氏の流儀
出版社:文春文庫
出版年:2012.3
備考:

関連記事

同作者の小説。源為義が重要な人物として登場し、源氏の流儀が語られる。
rekisyo.hateblo.jp
後白河法皇の反省を彼の近臣たちの視点で描いた小説。保元・平治の乱の顛末も描かれる。
rekisyo.hateblo.jp


年表はこちら

rekisyo.hateblo.jp