「いやなものはいやなのだ」
長親は大喝して丹波の言葉をさえぎった。さらに、狭い納戸で息をつめる侍どもをぐるりと見回すと、再び吠えた。
「武ある者が武なき者を足蹴にし、才ある者が才なき者の鼻面をいいように引き回す。これが人の世か。ならばわしはいやじゃ。わしだけはいやじゃ」
強きものが強きを呼んで果てしなく強さを増していく一方で、弱き者は際限なく虐げられ、踏みつけにされ、一片の誇りを持つことさえも許されない。小才のきく者だけがくるくると回る頭でうまく立ち回り、人がましい顔で幅をきかす。ならば無能で、人が好く、愚直なだけが取り柄の者は、踏み台となったまま死ねというのか。
紹介
第139回直木賞候補作、第6回本屋大賞第2位。
犬童一心、樋口真嗣共同監督映画『のぼうの城』の原作。
武蔵国忍城(現・埼玉県行田市)主・成田氏の一族に、成田長親という武士がいた。縦にも長く、横にも太く、図体ばかりが大きいが、威圧感は全然ないし武芸の類はてんでダメ。のんきな性格で人が好いため、領民たちと交じって野良仕事にも精を出すが、あまりの不器用に逆に邪魔をしてしまう有様。そんな彼のことを、みんなは「のぼう様」と呼んだ。「でくのぼう」の「のぼう様」である。
豊臣秀吉の軍中、寵臣の一人に石田三成という武士がいる。如才のない若者で、何をやらせてもそつなくこなすが、目立った武功だけがいまだなかった。そんな彼のことを、加藤清正や福島正則のような腕自慢たちは小才子と蔑んだ。
天正18年(1590年)正月、天下の大半を抑えた関白・豊臣秀吉は、次なる敵として関東の北条氏政・氏直の親子を選ぶ。そして、武功のない石田三成に箔を付けるため一軍を与え、忍城の攻略を命じた。
意地というものにもいろいろとあるが、この「のぼう様」こと成田長親が貫きたかったものは、ごくごく単純な負けたくない、という意地だった。
しかし、やる気はあっても(あるかどうかも微妙な線ではあるが)、武力も剛力も、胆力さえもない愚将・成田長親は、唯一の武器である人気のみで石田三成率いる2万3千の大軍に立ち向かう。
石田三成、大谷吉継、綺羅星のような名将を相手に喧嘩を売ってしまった「のぼう様」を、どういうわけか家老たちも守り立てていき、領民たちでさえも彼に力を貸そうと協力する。そんななか、戦国最後の大戦・小田原攻めの中で起きた奇跡、忍城攻防戦の火蓋が切って落とされたのであった。
時代設定
冒頭の備中高松城(現・岡山県岡山市)水攻めは天正10年5月8日(1582年5月29日)より。
本編は秀吉が北条攻めの下知を下した天正18年(1590年)正月から、成田泰季が病死した天正18年6月7日(1590年7月8日)までで、下巻に続く。