おうい、今帰ったぞお。
南部の風じゃ。盛岡の風じゃ。
胸いっぺえに吸うてみるべさ。
紹介
第13回柴田錬三郎賞受賞作品。
上巻で語られた吉村貫一郎の死の顛末の後、残された人々は大正時代にいたるまでどのように生きてきたのか、あるいはどのように死んでいったのかが下巻のテーマとなる。鳥羽伏見の戦いで敗れた幕府軍は東方に敗走し、戦火は東国にまで広がっていく。新政府軍に対抗するために結成された、仙台藩(現・宮城県仙台市)の伊達慶邦を盟主とした奥羽列藩同盟には貫一郎の故郷・南部盛岡藩(現・岩手県盛岡市)も加わり、貫一郎の旧友や家族たちもまた戦乱の中に身を投じることになる。
上下巻を通して読者は無名の新選組隊士である吉村貫一郎の残した足跡をなお追い続けることとなる。その過程には、新選組の崩壊後も会津(現・福島県会津若松市)に身を寄せて戦い続けた斎藤一。箱館(現・北海道函館市)に移って死に場所を求めた隊士たち。親友・貫一郎の死の目撃者となった幼馴染の大野次郎衛門とその子の千秋。貫一郎の子・吉村嘉一郎と娘のみつ。吉村貫一郎をめぐる数多くの人々が歩んできた人生にも触れることとなる。そして、すべての大団円として読者はもう一人の吉村貫一郎と共に汽車に乗り、最後に大正時代の現在の南部盛岡の地を踏む。
それによって、本作は単に新選組の一隊士を描いた歴史小説という枠組みを超えて、読者自身が、激動の時代に翻弄された新選組と、南部盛岡の民の一員として、歴史の当事者になったかのような錯覚をもたらしてくれる。
時代設定
承前の藤田五郎(斎藤一)の話は慶応2年4月1日(1866年5月15日)から明治3年(1870年)春まで。
大野千秋の手紙は弘化3年(1846年)から明治7年(1874年)4月まで。この手紙の差出し日が大正4年6月となっており、上巻の頭から1年近く経過していることがわかる。
佐助の話は安政3年(1857年)から明治2年2月10日(1869年3月22日)まで。
角屋の主人の二度目の話は慶応4年(1868年)1月から5月16日(7月5日)まで。
吉村貫一郎の話は文久2年(1862年)から大正4年まで。