あの方のことを、世間では「南部の鼻曲がり鮭」と言うておるそうですな。
むろん、南部の鮭が格別な顔つきをしているわけはない。生まれつき鼻の曲がっている薩摩や長州の鮭どもから見れば、まっすぐな鼻もまがっているということでしょう。
紹介
第13回柴田錬三郎賞受賞作品。
物語は、江戸時代のことも年寄りたちの語る昔話となった大正時代。無名の新選組隊士であった吉村貫一郎という人物を、読者の分身となる聞き手が、当時の彼を知る人物たちにインタビューをして回るという形式で始まる。
インタビューの対象は新選組の生き残りたちだけでなく、吉村の生まれ故郷である南部盛岡藩(現・岩手県盛岡市)の旧藩士たちにも及ぶ。新選組や攘夷志士たちが跳梁した幕末の京都と、戊辰戦争で賊軍に身を投じることとなってしまった南部盛岡藩という二つの舞台を、脱藩隊士・吉村貫一郎の足跡を追うという形で描写している。
吉村は武張った殺人集団である新選組の幹部という立場にありながら、その物腰は柔らかく、国元に残した家族たちに給金を仕送りするような人物である。その態度とキツい東北訛りから、他の隊士たちには守銭奴と呼ばれ、どこか軽んじられるような扱いを受けることもあった。
その一方で剣術の腕はすこぶる立ち、切腹する隊士の介錯などには自ら手を挙げ、眉一つ動かすことなくやってのける。そして殺人の特別手当を嬉しそうに受取り、国元へ送ったりもする。二面性があるような人物ではなく、その両方の要素が一人の吉村貫一郎の中で矛盾なく同居している。
そんな彼が、そもそも何故愛する国を捨てることになったのか。そして、鳥羽伏見の敗戦後、何故大坂の盛岡藩邸にのこのこと現れ、切腹して果てることになったのか。
言わずと知れた浅田次郎の代表作。渡辺謙や中井貴一といったそうそうたるメンツによって実写化もされており、映像作品を見てご存じの方も多いはず。
映像作品では渡辺謙版、中井貴一版ともに新選組隊士としての吉村貫一郎の生きざまを描くという要素の強いアレンジが施されているが、原作は大正時代の記者を聞き手のポジションに据えて、中井版に登場した元新選組隊士・藤田五郎(斎藤一)と盛岡藩家老の子・大野千秋のみならず、他にも多くの語り部が登場する。彼らが、それぞれ交流した吉村貫一郎という人物の思い出を、自分が歩んできた人生と共に語ってくれる。
結果として、映像作品と同様に吉村貫一郎の生涯を物語の主軸に据えながらも、新選組という組織が持つ陰惨かつ歪な構造や、戊辰戦争で敗者となった南部盛岡藩が大正時代にいたるまで背負わされてきた苦難の歴史にスポットライトが当たり、多角的な視点から幕末という時代の姿を描き出している。
特に、盛岡が生んだ平民宰相である原敬の描写には、南部の民たちが彼に持っている強い期待感と、晴れやかな気持ちが籠っており、シーンとしては多くないものの、深く印象に残った。
時代設定
冒頭のシーンは慶応4年1月7日(1868年1月31日)。鳥羽伏見の戦いの直後、大坂の南部盛岡藩屋敷に吉村貫一郎が落ち延びるところから始まる。
本編は記者が幕末当時を知る者たちに取材をするという回想形式をとっており、劇中の現代は東京大正博覧会が催された大正3年(1914年)の夏とされる。
角屋の主人の話は、主人が吉村貫一郎に初めて会ったと語る慶応3年(1868年)5月から始まる。吉村が大坂に落ち延びる慶応4年1月7日(1868年1月31日)まで。
桜庭弥之助の話は吉村貫一郎が南部盛岡藩を脱藩する文久2年(1862年)の冬から始まる。桜庭弥之助が盛岡を捨て上京する明治4年(1871年)の冬まで。
池田七三郎の話は、彼が新選組に入隊する慶応3年(1867年)10月から始まる。慶応4年1月7日(1868年1月31日)まで。
藤田五郎(斎藤一)の話は、彼が試衛館道場に入門する文久3年(1863年)2月から谷三十郎が処分される直前の慶応2年(1866年)3月までで、下巻に続く。