あの作品が何時代の話かわかるブログ

歴史系の創作物を集めて、年代順に紹介するブログ。歴史系の小説、漫画、ゲーム、映画などなどなんでも

【人物紹介】伊達氏:独眼竜政宗を輩出した名家。江戸時代は仙台藩主として64万石を統治した。

伊達氏とは

 昭和62年度(1987年)のNHK大河ドラマ独眼竜政宗』。平均視聴率39.7%を記録した不世出の大傑作として、その人気はいまでも語り継がれています。
 俳優・渡辺謙伊達政宗役)の出世作であるだけではなく、お笑い芸人のいかりや長介鬼庭左月斎役)が本格的に俳優業へ進出するきっかけとなった作品でもあり、その他現在でも日本の俳優界を背負って立つ名優たちが数多く出演していました。
 主人公の伊達政宗は奥州(現・東北地方東部)の名家・伊達氏の跡取り息子ですが、幼いころに天然痘によって生死の境をさまよい、一命はとりとめますが片目を失明してしまいました。隻眼の容姿にコンプレックスを持った政宗が、誰よりも苛烈に周辺の豪族たちを討ち滅ぼして奥州の覇者となり、その先で豊臣秀吉(演・勝新太郎)という大きな壁にぶつかって天下取りの夢を失っていく生涯が描かれます。 
 今回は、その伊達氏についてご紹介します。

伊達氏略系図

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伊達氏略系図
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伊達政宗系図

伊達氏の経歴

 伊達氏は常陸国伊佐郡(現・茨城県筑西市)に住まった藤原山陰の子孫・常陸入道念西(伊達朝宗、あるいは伊達宗村)(生没年不詳)が、源頼朝奥州藤原氏征伐(1189年)に随行して戦功を上げたため、陸奥国伊達郡(現・福島県伊達市)を賜ったことが始まりとされます。
 南北朝時代の伊達行朝(1291 – 1348)は南朝に従いました。多賀城(現・宮城県多賀城市)から伊達領内の霊山(現・福島県伊達市)に陸奥国府を移し、鎮守府大将軍・北畠顕家足利尊氏征伐にも付き従うなど、南朝の重鎮として活躍しました。
 しかし、顕家が敗死、伊佐城に籠った伊達行朝も敗走して陸奥将軍府の勢力が振るわなくなると、行朝の子・伊達宗遠(1324 – 1385)は北朝に降伏しました。しかしそれ以後も室町幕府に完全に服属したわけではなく、宗遠は幕府の執事を務めたこともある出羽長井氏を攻めて米沢城(現・山形県米沢市)を奪い取ったり、奥州探題の大崎氏(斯波氏の一族)と戦って所領を奪い取ったりしています。
 さらに、9代当主・伊達政宗独眼竜政宗とは別人)(1353 - 1405)と政宗の孫の伊達持宗(1393 – 1469)は鎌倉公方と対立してたびたび戦争を起こし、勢力を拡大していきました。この過程で鎌倉公方とは対立する室町幕府との関係は逆に好転しています。
 14代当主・伊達稙宗(1488 – 1565)は婚姻外交を駆使して周辺諸大名のほとんどと縁戚関係を結び、「洞(うつろ)」と呼ばれる伊達氏を中心とした権力構造を確立しました。陸奥国には奥州探題大崎氏がいたため、元来守護は置かれていませんでしたが、稙宗は強大な権力を背景に前例のない陸奥守護に任じられています。
 しかし晩年、三男の伊達実元(1527-1587)を越後上杉氏の上杉定実の養子にし、伊達家中の精鋭をその随行につけようとしたところ、嫡男の伊達晴宗(1519-1578)の猛反対に遭い、娘婿の相馬顕胤に伊達領を割譲しようとした問題も相まって、奥羽全土を稙宗陣営と晴宗陣営に分けた大戦争に発展します。後世に「天文の乱」あるいは「洞の乱」と呼ばれた争乱は天文11年(1542年)から天文17年(1548年)の6年にわたって続き、最終的には稙宗が隠居することで終結を迎えますが、伊達家の勢力は大きく衰退してしまいました。
 この際、蘆名氏、相馬氏、最上氏、大崎氏、葛西氏らが伊達氏の勢力圏から独立し、のちに伊達氏を大いに苦しめることとなります。
 晴宗の跡を継いだ伊達輝宗(1544 – 1585)は生涯を費やして伊達氏の勢力回復に努めましたが、周辺諸大名が実力を付けてきたためにそこから抜きん出ることは難しく、更なる飛躍は輝宗の子の17代・伊達政宗(1567 – 1636)の登場を待つこととなります。

その他の伊達氏

 伊達氏の子孫として著名なサンドイッチマン伊達みきお氏は、9代・伊達政宗の弟の大條宗行の直系子孫です。
 明治時代の外交官・陸奥宗光(1844 - 1897)は、元の名前は伊達小次郎といい、常陸入道念西の子・伊達為家(生没年不詳)の子孫です。先祖が紀州徳川頼宣に仕え、以後紀州藩士として存続しました。
 留守氏、亘理氏、岩城氏、国分氏など多くの奥州の国衆が伊達氏から養子を迎え、江戸時代には伊達姓を名乗っています。また、陸奥石川氏、田村氏なども伊達氏からの養子を迎えて現在に至っています。

伊達氏の登場する作品

北方謙三「破軍の星」

破軍の星 (集英社文庫)

破軍の星 (集英社文庫)

ジャンル:歴史小説
主人公:北畠顕家
登場人物:伊達行朝(1291 – 1348)
時代背景:南北朝時代
 南北朝時代南朝後醍醐天皇に仕えた公家の北畠顕家を主人公にした小説。若くして陸奥(現・東北地方東部)の鎮守府大将軍となった顕家は、南朝のために戦い続ける。
 伊達行朝は南部師行と共に現地の有力武将として登場し、顕家の転戦に付き従う。

NHK大河ドラマ独眼竜政宗

ジャンル:歴史ドラマ
主人公:伊達政宗(1567 – 1636)
時代背景:安土桃山時代(戦国時代) - 江戸時代
 昭和62年度(1987年)のNHK大河ドラマ。平均視聴率39.7%を記録した大ヒット作であり、少年時代の政宗が発する「梵天丸もかくありたい」のセリフは流行語となった。

NHK大河ドラマ「樅ノ木は残った」

ジャンル:歴史ドラマ
主人公:原田甲斐(宗輔)
登場人物:伊達安芸(宗重)(1615 – 1671)
 伊達兵部(宗勝)(1621 - 1679)
 伊達綱宗(1640 - 1711)
時代背景:江戸時代
 昭和45年度(1970年)の大河ドラマ伊達騒動を題材にした作品。歌舞伎の『伽羅先代萩』などでながらく悪役として描かれてきた原田甲斐を再評価し、彼の目線から騒動の推移を追った。

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【小説】葉室麟「刀伊入寇 藤原隆家の闘い」:平安時代

刀伊入寇 藤原隆家の闘い

刀伊入寇 藤原隆家の闘い

「覚悟いたされよ」
 隆家の放った矢が花山院の車に向かって飛んだ。簾を突き抜けた矢は車の中にいた花山院の袖を射抜いた。
 花山院は真っ青になって震えあがった。
「隆家はわしを殺すつもりだぞ。退け、退くのだ」

データ

主人公:藤原隆家
主な歴史人物:藤原伊周、花山法皇藤原道長安倍晴明藤原定子清少納言、平致光、大蔵種材
時代背景:平安時代
 長徳元年(995年)3月 - 寛仁3年(1019年)12月

紹介

 中関白・藤原道隆は権力の絶頂にあった。嫡男の伊周は有望で、娘の定子は天皇の后となっていた。しかし、道隆の子・藤原隆家は朝廷の権力争いになじめず、強敵を求めて武芸を好む変わり者であった。
 藤原家と深い因縁を持つ花山法皇は素行が悪く、伊周・隆家の兄弟とたびたび闘乱を起こした。法皇は素性の知れない異形の武者たちを飼っており、「とい」と呼ばれた彼らと隆家は不思議な因縁で結ばれていく。

 学校の授業で刀伊の入寇を習ったとき、それを迎え撃った太宰権帥の隆家が御堂関白・藤原道長の甥で、しかも花山法皇に矢を射るほどの暴れん坊だったと知って衝撃を受けたものである。
 この時代を扱っている小説自体が少なく、刀伊入寇が題材となるとほぼ存在しないと言ってもいい。その題材に目を付けた眼力はさすがで、叔父藤原道長との権力闘争や花山法皇との因縁、王朝文化になじめない武人の隆家のやるせなさなどが新鮮。
 しかし、刀伊と藤原隆家を宿命の対決と見せたいあまりに、それまでにちりばめられた因縁があまりに卑近過ぎて、刀伊関連の下りだけ剣客小説になったかのようなスケールの小ささを感じるのがやや残念。花山院が私兵として刀伊を使い、攻め寄せる刀伊の頭目が隆家その人と刀伊の娘の間に生まれた子供というのはもはや講談の世界であり、歴史小説然とした宮中パートとのチグハグ具合の食べ合わせが非常に悪い。
 その一方で安倍晴明清少納言紫式部といったおなじみの平安文化人たちが隆家と交流し、枕草子紫式部日記から引用したエピソードを語るのは、小説の中で読むと原典とはまた違った趣があって面白い。道長をはじめとした宮中貴族たちのキャラクター造形が良い分、彼らと隆家の交流でじゅうぶん間が持ったのではないかと思ってしまう。
 不良貴族の隆家が法皇にその身も顧みず喧嘩を売り、大騒動を巻き起こすさまは名著『殴り合う貴族たち』も参考にしているだけあって、ドタバタコメディの様相も呈して平安貴族たちの知られざる一面を見ることが出来た。

時代設定

冒頭の隆家と乙黒法師の会話が長徳元年(995年)3月。
隆家の大宰権帥任期切れが寛仁3年(1019年)12月。

書誌情報

著者:葉室麟
タイトル:刀伊入寇 藤原隆家の闘い
出版社:実業之日本社
出版年:2011.6
備考:

関連作品

本作の参考資料の一つ。平安貴族たちの知られざる暴力的な側面を紹介する。

平成13年度(2001年)大河ドラマ北条時宗』の原作。本作からおよそ200年後、モンゴル帝国が博多に攻めてきた「元寇」の時期、鎌倉幕府の執権であった北条時宗を主人公とした作品。
身内の権力闘争と外敵との戦いという主題、ファンタジー要素など本作とイメージが被る部分が多い。

時宗 巻の壱 乱星 (講談社文庫)

時宗 巻の壱 乱星 (講談社文庫)


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【麒麟がくる出来事紹介】桶狭間の戦い:織田信長が乾坤一擲の決戦を挑み、「東海一の弓取り」今川義元を討ち取った。

桶狭間の戦いとは

 現在放送中のNHK大河ドラマ麒麟がくる』。
 第21回「決戦!桶狭間」では、ついに織田信長(演・染谷将太)と今川義元(演・片岡愛之助)の激突、桶狭間の戦いが描かれました。激闘の末に織田軍の毛利新介(演・今井翼)が義元の首を討ち取り、信長は天下取りに向けて大きな一歩を踏み出しました。今川氏と織田弾正忠家は、信長の父・織田信秀(演・高橋克典)の代から長きにわたる抗争を繰り広げており、桶狭間の戦いはその戦いの終止符を打つ意味でも重要な戦いでした。
 発端は永禄3年5月12日 (1560年6月5日)、今川義元が大軍を率いて駿府(現・静岡県静岡市)を出陣したことに始まります。1週間後に三河沓掛城(現・愛知県豊明市)に入った今川軍は、5月18日(6月11日)に松平元康(のちの徳川家康)(演・風間俊介)率いる三河勢を先行させ、前線となる鵜殿長照(演・佐藤誓)の守る大高城(現・名古屋市緑区)に兵糧を搬入しました。
 翌日の5月19日(6月12日)深夜、松平元康と朝比奈泰朝が丸根砦(現・名古屋市緑区)および鷲津砦(現・名古屋市緑区)を攻撃すると、信長はわずかな供だけを連れて清州城を出撃します。この際、遅れてきた軍勢を待つために熱田神宮に立ち寄り、戦勝祈願をしたことがよく知られています。
 この間にも今川軍の猛攻は続き、丸根砦・鷲津砦は陥落、丸根の守将・佐久間盛重(演・室山和廣)、鷲津の守将・飯尾定宗、織田秀敏(ともに織田信秀のいとこといわれる)らは討死しました。さらに、佐々隼人正(成政の兄)(演・内浦純一)と千秋季忠(斎藤道三との戦いで戦死した千秋季光の子)もわずかな兵で攻撃をかけ、玉砕しています。
 彼らが奮闘する中信長の本隊は進軍を続け、織田家臣・梁田政綱(演・内田健司)からの情報提供もあり、ついには今川軍の本陣を発見します。おりしも視界不良となるほどの豪雨が辺りを襲い、乱戦の中で服部小平太(演・池田努)が今川義元に槍をつけ、毛利新介が討ち取りました。この時の今川義元の抵抗はすさまじく、服部小平太は膝を斬られ、毛利新介は左手の指を食いちぎられたと伝えられています。今川義元が討たれた主戦場となった現場は名古屋市緑区有松町大字桶狭間豊明市桶狭間古戦場伝説地、所在不明の「田楽狭間」や「おけはざま山」などが挙げられていますが、特定はされていません。
 義元が討たれたと知った今川軍は戦意を喪失し、駿河に撤退しました。松平元康は今川家と袂を分かって旧領の岡崎城(現・愛知県岡崎市)に入城しています。
 今川諸将の中で鳴海城(現・名古屋市緑区)を守っていた岡部元信だけは頑強に抵抗し、義元の首級と引き換えに開城、撤退中に刈谷城(現・愛知県刈谷市)を攻略して守将の水野信近を討ち取る戦功を上げています。
 この戦闘に勝利したことで信長は三河方面からの脅威を消し去り、美濃(現・岐阜県南部)の斎藤義龍(演・伊藤英明)との戦いに注力することができるようになったのでした。

関係地図

黄:織田信長 青:今川義元 赤:徳川家康 茶:水野信元

桶狭間の戦いの登場する作品

宮下英樹センゴク外伝 桶狭間戦記」

ジャンル:歴史漫画
主人公:今川義元
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第1話「方菊丸」より
 人気歴史漫画「センゴク」の、今川義元の生涯を描いた番外編。若き日の今川義元織田信長を主軸として、戦国時代の到来の要因として「小氷河期」によるコメ不足を指摘したり、織田弾正忠家の強壮の秘訣を銭の力によるものだと指摘し、のちの織田家の興隆の原点としたりするなど、両家の政治・軍事の違いや共通点を探りながら意欲的な評価を下している。

中村彰彦桶狭間の勇士」

桶狭間の勇士 (文春文庫)

桶狭間の勇士 (文春文庫)

ジャンル:歴史小説
主人公:毛利新介、服部小平太
 桶狭間の戦い今川義元を討つ功を挙げて、歴史に名を残した毛利新介と服部小平太の両名。しかし、彼らがその後どんな人生を歩んだのかはあまり知られていない。
 信長の嫡男・信忠に仕えた新介と、豊臣秀吉に仕えた小平太の両名が送った、桶狭間のその後の人生が描かれている。

伊東潤王になろうとした男」所収「果報者の槍」

王になろうとした男 (文春文庫)

王になろうとした男 (文春文庫)

ジャンル:歴史小説
主人公:毛利新助(新介)
 桶狭間の戦い今川義元を討ち取った毛利新助だが、あくまで武辺者の彼はどうも出世というものがわからない。朋輩の塙直政や軽輩の藤吉郎が頭を使い出世していく中、新助は己の力を発揮できる場所を見つけられずにいた。
 しかしある日、敗軍の中で主君の信長と語り合う機会を得た新助は、思わずその生き方を肯定される。それだけで十分だった。

NHK大河ドラマ麒麟がくる

ジャンル:歴史ドラマ
主人公:明智光秀
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第21回「決戦!桶狭間」より
 令和2年度(2020年)の大河ドラマ明智光秀(演・長谷川博己)の若き日の物語。
 第20回「家康への文」と第21回「決戦!桶狭間」で桶狭間の戦いが詳細に描かれた。今川の大軍を迎え撃とうとする信長が、冷静に彼我の戦力を分析し、今川軍が兵力を分散させているため、本陣に乾坤一擲の攻撃を掛ければ勝利も可能であると喝破するシーンが圧巻。信長の計算高い冷静な頭脳が光る場面であった。
 また、片岡愛之助演じる今川義元が、従来の公家的なイメージではなく本陣に敵が侵入してもなお自ら刀を取り、奮戦の末に戦死するという描写も話題となった。


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【小説】仁木英之「レギオニス 興隆編」:戦国時代

レギオニス 興隆編 (中公文庫)

レギオニス 興隆編 (中公文庫)

「母上の言葉がなければその思いに至らなかったのは愚かである。此度のこと、責は林新五郎、柴田権六両名にあると厳しく𠮟りおく。追って沙汰があるまでは表立ったことをせず、己を慎んでおれ」
 言い終えると次に権六に目を向けた。
「お前は父の信も厚く、勘十郎を任されながら正しき道を示すことができなかった。弟の側にいてはまた道を誤らせることになるやも知れぬ。今後のことをよく思案せよ。次に誤れば許さぬ」
 続いて罰を言い渡されるのかと思っていたら、話はそこまでだった。

データ

主人公:柴田勝家
主な歴史人物:毛受惣介(勝照)、織田信勝織田信長林秀貞、佐久間盛重、木下藤吉郎
時代背景:室町時代(戦国時代)
 天文19年(1550年)年夏 -永禄3年5月19日(1560年6月12日)

紹介

 尾張国愛知郡下社村(現・名古屋市名東区)の小土豪である柴田勝家は安祥城での負け戦で立てた武功によって、主君の織田信秀から三男の信勝の傅役に任じられた。勝家は身の丈に合わない抜擢に戸惑いながらもその命に服するが、のちのち跡目争いに巻き込まれるのではないかと一抹の不安も感じていた。
 織田弾正忠家の勢力を飛躍させた「尾張の虎」織田信秀の早すぎる死は、勝家が心配したとおりに嫡男の信長と母・土田御前の支持を得た信勝の争いをもたらした。信長の治世はそこそこうまく回り始めていたが、荒子城(現・名古屋市中川区)主の四男に過ぎない前田利家や、素性の知れない滝川一益などの小身者を側近く使い、それに不満を持った旧来の家臣たちが信勝に心を寄せたのである。ついに信長の第二の家老であった平手政秀が信長と対立して腹を切る事態が起こると、弾正忠家の主家にあたる織田大和守信友や、信長の第一の家老として付けられたはずの林秀貞も反信長の旗幟を明らかにした。
 ついに信勝は弾正忠家の当主を僭称し、信長との決戦に臨む。戦闘経験に乏しい信勝は、勝家を総大将として全軍の指揮を任せることを表明した。兄弟の争いに自ら出馬しない信勝に疑問を抱きながらも勝利を確信して当たる勝家だったが、信長の鮮やかな采配の前に完敗を喫してしまう。
 勝家と共に信長の前で許しを請う信勝だったが、敗戦の責を家臣たちにひっかぶせ、その姿は見苦しく敗北を認めない態度を顕わにしていた。土田御前のとりなしで信勝の一命は許されたが、信長は「傅役として弟に二度と道を誤らせるな」と勝家に厳命した。

 桶狭間の戦いで鮮烈なデビューを果たした信長だが、そこに至るまでには同族間での血みどろの権力闘争を勝ち抜いてきて尾張統一を果たしている。あまり描かれることはないが、その間に何人もの織田姓の同族を手に掛けており、その中でも最大の敵が実弟の織田勘十郎信勝だった。
 タイトルの「Legatus legionis」はラテン語で軍団長を意味しており、のちに織田家北陸方面軍司令官となる柴田勝家の視点から、若き日の信長と織田家の軍団長となる若者たちの戦いを描いている。
 織田家の筆頭家臣であり、信長死後の主家乗っ取りを画策する羽柴秀吉の野望を阻もうとする忠臣として描かれることが多い柴田勝家だが、彼は信長の弟の信勝に与して信長に謀叛を起こした前科がある。一度は信勝の軍を率いて信長と刃を交えて敗れ、それにも懲りずに再び謀叛を起こそうとした主君を信長に売り、その死を招いた実績がある。
 その十字架を背負いながら、勝家は織田家の中でどのように自分の位置を占めるか試行錯誤を続けるのだった。

時代設定

物語の冒頭は水野信元が今川氏に寝返った天文19年(1550年)年の夏。
桶狭間の戦いが永禄3年5月19日(1560年6月12日)。

書誌情報

著者:仁木英之
タイトル:レギオニス 興隆編
出版社:中央公論新社
出版年:2018.10
備考:

関連作品

本作の続編。

レギオニス 信長の天運 (中公文庫)

レギオニス 信長の天運 (中公文庫)

関連記事

本作と同時期の豊臣秀吉を主人公とした小説。
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【小説】馳星周「四神の旗」:奈良時代

四神の旗

四神の旗

「どう思われます」
 武智麻呂の邸から帰る道すがら、それまで口を閉じていた麻呂は宇合に言葉をかけた。
「武智麻呂兄上のことか。それとも房前兄上のことか」
「両方です」
「武智麻呂兄上は恐ろしいお方だ。そして、房前兄上は業が深い」
「やはり、宇合兄上もそうお考えですか。武智麻呂兄上に頭を下げられた手前、房前兄上はああおっしゃった。しかし、本心は違う」
 宇合がうなずいた。薄暮の中、宇合の横顔は頼りなげに見える。
「房前兄上は我が強すぎる。父上が武智麻呂兄上より先に房前兄上を参議にさせたのは、早いうちから政の中に置いて、我を通すだけでは物事は進まないということを教えるためだったのではないかと思っている」

データ

主人公:藤原武智麻呂藤原房前藤原宇合藤原麻呂
主な歴史人物:長屋王元明上皇(阿閇皇女)、元正天皇(氷高皇女)、県犬養三千代聖武天皇首皇子)、安宿媛光明皇后)、葛城王橘諸兄
時代背景:奈良時代
 養老4年8月3日(720年9月9日) - 天平9年8月5日(737年9月3日)

紹介

 持統天皇元明天皇元正天皇と女帝の即位が続いた奈良時代、稀代の政治家である藤原不比等は絶大な権力を握り、藤原氏の後の栄華の礎を築いて死んだ。のこされた南家の武智麻呂、北家の房前、式家の宇合、京家の麻呂のいわゆる藤原4兄弟は、それぞれ自分の家を立てて朝廷の中に席を占めた。それは、朝堂に上がるのは一家門につき一人というしきたりに挑戦した、父・不比等が残した最後の策だった。
 藤原4兄弟はそれぞれ、不比等と義母の県犬養三千代の残した娘であり、首皇子の妻である安宿媛の存在を背景に藤原氏の勢力を扶植していく。
 あるとき、房前は死の床にある元明上皇の前に呼び出された。そこには藤原一族の政敵である長屋王もいた。上皇の用向きは、兄弟の長男・武智麻呂を差し置いて次男の房前が内臣(皇太子・首皇子の補佐役)に任じるという話であった。天皇家への厚い忠誠心を持つ房前は上皇の願いを受け入れるが、その任命は藤原4兄弟の仲に楔を打ち込む長屋王県犬養美千代の策だった。
 案の定、藤原氏の勢力拡大をもくろむ武智麻呂と、天皇家の忠実な家臣であろうとする房前との間に隙間風が吹き始め、宇合と麻呂もまた己の野望と不満が顔を出し、藤原4兄弟は分裂を始める。

 藤原4兄弟といえば、歴史の教科書に名前だけずらずらと並べられて、正義の長屋王を讒言で殺した悪の枢軸、そのあとは個性も何もなく4人まとめて天然痘クラスタ感染でバタバタと死んでいくだけのイメージだった。しかし、彼らだって実際に生きた政治家たちであり、藤原氏の男だったのだ。それぞれ個性だってあるし、同じ方向を向いていたとは限らない。
 4兄弟がそれぞれの理想を追求し、時には兄弟として手を取り合い、時には政治家として牽制しあう中で、長屋王県犬養三千代らの対抗勢力も一枚岩ではない。一人一派閥として魑魅魍魎がうごめく宮廷社会の中で、蹴落とし蹴落とされながら時代を紡いでいく。
 本作は長屋王藤原武智麻呂、房前の3者による権力闘争と、その結実としての長屋王の変を主なテーマとしているが、その裏で諸方面に罠を張る県犬養三千代の存在感が大きい。三千代はそもそも藤原不比等の妻で安宿媛の母でありながら、4兄弟とは血が繋がっておらず前夫との間に葛城王橘諸兄)という息子まで儲けている。藤原の一族としての姿と県犬養の一族としての姿の二面性を持つ女性は、藤原不比等亡き後の政界のゴッドマザーともいえる存在だった。
 長屋王の変を経て、藤原4兄弟の栄華は次のステージへと進み、それぞれが自分の天下を求めて謀略を競い合う兆しを見せ始めるが、天然痘クラスタ感染によって全員コロリと死んでしまう。いつの世の中も、どんなに繁栄を極めても、生身の人間である限り死んでしまえばそれまでだった。

時代設定

養老4年8月3日(720年9月9日)に藤原不比等が死去。物語は不比等の誄から始まる。
藤原4兄弟の最後の一人、宇合が死んだのが天平9年8月5日(737年9月3日)。

書誌情報

著者:馳星周
タイトル:四神の旗
出版社:中央公論新社
出版年:2020.4
備考:

関連作品

本作と同作者による4兄弟の父、藤原不比等を主人公とした小説。

比ぶ者なき (中公文庫)

比ぶ者なき (中公文庫)




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【麒麟がくる人物紹介】水野氏:徳川家康の母の実家。江戸幕府が成立すると老中を多数輩出する。

水野氏とは

 現在放送中のNHK大河ドラマ麒麟がくる』。
 今川義元(演・片岡愛之助)と織田信長(演・染谷将太)は知多半島の領有権を巡って激しく戦いを繰り広げていますが、その知多半島三河(現・愛知県東部)の西部を治めていたのが水野信元(演・横田栄司)です。彼は徳川家康(演・風間俊介)の母・於大の方(演・松本若菜)の兄でもあります。
 ドラマや小説で取り上げられることは少なく、コーエーのゲーム『信長の野望』でもつい最近までその存在は無視されていたためあまり知られてはいませんが、織田氏松平氏に勝るとも劣らない尾張三河の実力者が水野氏でした。
 今回は、その水野氏についてご紹介します。

水野氏略系図

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水野氏略系図

水野氏の経歴

 水野氏は清和源氏初代・源経基の子・満政の子孫とされます。
 水野の家名は先祖が尾張国春日井郡水野郷(現・愛知県瀬戸市)に住まったことから名乗ったと考えられています。
 戦国時代の当主・水野忠政(1493 - 1543)は知多半島から三河国西部にかけて勢力を持ち、尾張国知多郡(現・愛知県知多郡東浦町)の緒川城を居城としました。忠政は駿河(現・静岡県東部)及び遠江(現・静岡県西部)守護の今川氏に従い、妹を松平信忠徳川家康の曽祖父)、娘の於大の方(1528 - 1602)を松平広忠徳川家康の父)に嫁がせて、三河松平氏との関係を強化しました。
 忠政が亡くなり子の水野信元(生年不詳 – 1576)が跡を継ぐと、信元は自立を図り、今川氏と争っていた尾張織田信秀と手を結びます。この際、妹の於大の方松平家から離縁されて水野家に戻されています。
 永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いの際は水野領の知多半島が主戦場となりました。水野家でも刈谷城(現・愛知県刈谷市)主を務めていた信元の弟の水野忠近(1525 - 1560)が戦死し、一時的に刈谷城を今川方の岡部元信に奪われる被害を出しています。
 今川義元の戦死後、今川氏から離反した松平元康(のちの徳川家康)は尾張織田信長と同盟を結びます。この同盟では家康の伯父であり、信長の同盟者でもある水野信元が仲介役として動いていたとされます。
 しかし、織田家の本領の尾張と徳川家の本領の三河の中間地点という微妙な場所に、広大な領地を持つ水野氏の立場はだんだん微妙なものとなっていきました。天正3年(1576年)、織田家重臣佐久間信盛は水野氏が甲斐(現・山梨県)の武田勝頼と内通していると訴え、信長の意を受けた家康の手によって信元は殺害されてしまいます。こうして水野氏は一時的に滅亡しました。
 しかし天正8年(1580年)に旧水野領を領有していた佐久間信盛が信長の勘気に触れて追放されると、信長に仕えていた水野忠守(1525 - 1600)には緒川城が、信元と仲違いして家康に仕えていた水野忠重(1541 - 1600)には刈谷城が与えられ、水野氏は再興を許されました。
 信長の死後、忠守と忠重は織田信雄、次いで豊臣秀吉に大名として仕えましたが、秀吉が死去すると甥の徳川家康に属しました。
 その子孫は徳川氏の親戚としてよく仕えて重用され、江戸時代を通して多くの幕閣を輩出しました。天保の改革で知られる老中・水野忠邦(1794 - 1851)は忠守の子孫です。

その他の水野氏

 豊臣秀吉の継父の竹阿弥(生没年不詳)は水野氏の分家の出身という説があります。
 将軍・徳川秀忠に仕え、大老となって大権を振るった土井利勝(1573 - 1644)は徳川家康落胤という俗説もありますが、一般には水野信元の子で土井利昌の養子となったとされています。

水野氏の登場する作品

NHK大河ドラマ麒麟がくる

ジャンル:歴史ドラマ
主人公:明智光秀
登場人物:水野信元(生年不詳 – 1576)
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第20回「家康への文」より(演・横田栄司
於大の方(1528 - 1602)
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第9回「信長の失敗」より(演・松本若菜
時代背景:室町時代 - 安土桃山時代(戦国時代)
 令和2年度(2020年)の大河ドラマ明智光秀(演・長谷川博己)の若き日の物語。
 物語当初より登場していた謎の忍・菊丸(演・岡村隆史)の雇い主として水野信元と於大の方の兄妹が登場する。第9回「信長の失敗」では、於大の方の息子である竹千代(のちの徳川家康)の身を陰からサポートするべく菊丸を遣わせていたことが判明した。
 第20回「家康への文」では信長・帰蝶(演・川口春奈)夫妻と面会して、松平元康を今川方から寝返らせる代わりに、三河尾張の不戦を信長に誓わせた。

澤田ふじ子「修羅の器」

修羅の器 (光文社時代小説文庫)

修羅の器 (光文社時代小説文庫)

ジャンル:歴史小説
主人公:水野監物(守隆)(生年不詳 - 1598)
時代背景:室町時代(戦国時代) - 安土桃山時代
 織田信長に仕える常滑水野氏(現・愛知県常滑市)の当主・水野監物は、領内で作られる常滑焼の産出によって強盛とまではいえないまでも、文化的な生活を送っていた。おりしも時代は茶の湯が勃興した時期でもあり、常滑焼も監物自身も茶人衆から高い評価を受けていた。
 しかしある時、領内の瀬戸焼美濃焼の権威向上を図る信長は、それ以外の焼き物の廃絶を急遽領内に命じる。もちろん常滑焼も例外ではなかった。監物にはひとつの相談もなく、しかも監物が長篠の戦いへの従軍中に領内に目付が押し入って窯人たちを血祭りにあげるという暴挙であった。茶人たちも信長をはばかり常滑焼を茶の湯に使うことは渋るようになった。さらに、緒川の本家・水野信元までもが信長に疑われ、殺されてしまったのである。
 以来監物は腹内に信長に対する怒りを収めたまま彼に仕えることとなる。

大塚卓嗣「天を裂く: 水野勝成放浪記」

天を裂く

天を裂く

ジャンル:歴史小説
主人公:水野勝成( 1564 - 1651)
登場人物:水野忠重(1541 - 1600)
時代背景:安土桃山時代(戦国時代) - 江戸時代
 水野藤十郎勝成は名族水野氏の嫡男でありながら、暴勇の気があり、婆娑羅と称して戦場を単騎駆ける暴れん坊であった。父の忠重は頭を抱えていたが、父の同輩の鳥居元忠井伊直政は勝成の性質を好ましく思っていた。
 しかしあるとき、勝成は些細なことから父と大げんかを演じ、それを止めに入った近臣を殴り殺してしまう。やっちまったと思ったが、なおも意地を張る勝成を父の忠重は勘当。奉公構(ヤクザで言う破門)を出されてしまい、徳川家とは縁のない仙石秀久佐々成政のもとを傭兵として流浪する羽目に陥るのであった。

平岩弓枝「妖怪」

妖怪 (文春文庫)

妖怪 (文春文庫)

ジャンル:歴史小説
主人公:鳥居耀蔵
登場人物:水野忠邦(1794 - 1851)
時代背景:江戸時代
 南町奉行鳥居耀蔵は甲斐守の官職にあり、耀蔵と甲斐をもじって妖怪と呼ばれていた。彼を抜擢したのは老中・水野忠邦だったが、彼の改革が失敗したときその改革を中断させたのは耀蔵だった。
 為政者としての水野忠邦と、役人としての鳥居耀蔵が比較される。
 

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【小説】葉室麟「無双の花」:江戸時代

無双の花 (文春文庫)

無双の花 (文春文庫)

  • 作者:葉室 麟
  • 発売日: 2014/07/10
  • メディア: 文庫

 誾千代に家督を譲った際、道雪は、
「宗麟様は、立花が不忠者の姓だと思われておる。それゆえ、立花を名のるからには、決して裏切ってはならぬ」
 と言い聞かせた。このことを誾千代は胸に刻んでいた。そこで婚礼のおりに、宗茂に向って、
「立花の義とは、裏切らぬということでございます」
 と口にしたのだ。誾千代の言葉をぼんやりと聞いていた宗茂は、しだいに表情を引き締めた。誾千代の言葉に厳かなものを感じて、
「わかった。立花を名のる以上、わしは決して裏切らぬ」
 と言い切った。

データ

主人公:立花宗茂
主な歴史人物:誾千代、小野和泉(小野鎮幸)、由布雪下(由布惟信)、十時摂津(十時連貞)、真田信繁真田幸村)、長宗我部盛親徳川家康徳川秀忠伊達政宗
時代背景:安土桃山時代(戦国時代) - 江戸時代
 慶長5年(1600年)10月 - 寛永19年11月25日(1643年1月15日)

紹介

 関ヶ原の戦いに敗れた立花宗茂は、領地である筑後柳川(現・福岡県柳川市)へと帰還した。その軍勢は敗残兵ではない。大津攻めに加わっていた立花勢は関ヶ原での本戦に加わることなく、大坂城に在陣した毛利輝元の降伏によって結果的に敗者となったものだった。事の次第を宮永村(現・柳川市上宮永町)に別居する妻・誾千代に伝えると、宗茂の養父・戸次道雪(立花道雪)の娘でもある彼女は、関ヶ原の合戦は東西いずれも欲得にまみれ戦ったなかで、たとえ敗軍の将となったとしても宗茂だけは立花の義を立てたと称賛した。
 柳川に帰ると、東軍の黒田如水加藤清正の軍のみならず、西軍に付いていたはずの鍋島直茂の軍までが立花領を目指して押し寄せてくるという。立花勢は奮闘するが、衆寡敵せずだんだんと追い詰められていく。誾千代からも小事にこだわらぬようとの書状が届き、ついに宗茂に好意を寄せる加藤清正の仲介によって立花宗茂は降伏した。
 しかし、立花家を待っていた運命は改易であった。柳川は田中吉政に与えられ、立花家中は加藤清正の預かりとなった。しかし加藤家中でも立花家臣たちは折り合いをつけることが出来ずに清正のもとを辞すと、以後長く、宗茂主従は苦難の日々を送ることになる。

 若いころ豊臣秀吉に剛勇鎮西一、西国無双と称えられた立花宗茂だが、本作の大部分は彼が関ヶ原の戦いで西軍につき、長く浪人した期間から柳川13万石の大名として復帰するまでに充てられている。一説では不仲であったとされる妻の誾千代の存在が本編を貫く軸となっており、もう一人の妻である八千子との心温まる夫婦関係とは違う、共に育ち、長年立花家を二人で支えてきた戦友としての夫婦関係が描かれている。誾千代自身は立花氏の大名復帰を見ることなく若くして亡くなってしまうが、その死後も誾千代の存在は宗茂の中で大きな存在であり続け、立花の義を貫く支えとなった。
 訪ねてくる長宗我部盛親真田信繁の誘いを蹴り、困窮にあえぎながらも我を通して逼塞する宗茂の姿は、不思議と気高く感じられる。その気高さが東国無双たる本多忠勝の胸を打ち、徳川家康の許しを得ることにもつながった。
 正直にまっすぐ生きる立花の義は、戦乱と泰平の境目のこの時代にこそ報われる信義だったのかもしれない。奥州の梟雄・伊達政宗や日の本一のつわもの・真田信繁は生まれる時代が遅すぎたと評されたが、彼らと同年の生まれで愚直に義を貫いた立花宗茂は、武士道が萌芽を出し始めた新しい時代に合致した武将だったのだろう。

時代設定

関ヶ原の敗戦から柳川に帰国した立花宗茂に対し、鍋島直茂が挙兵したのが慶長5年10月14日。物語冒頭の誾千代と宗茂の対面はその数日前。
回想シーンで誾千代が立花道雪から城督を受け継いだのが天正3年5月28日(1575年7月6日)。
宗茂柳川藩に再封されたのが元和6年(1620年)11月。
宗茂の死去が寛永19年11月25日(1643年1月15日)。

書誌情報

著者:葉室麟
タイトル:無双の花
出版社:文藝春秋
出版年:2012.1
備考:

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本作で描かれた真田丸の戦いが描かれている映像作品。
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